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楽しみながらキレイになりたい!・・・ちょっぴり NewYork の話題も ♡
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クリスマスが終わっちゃったけど、
今年のクリスマスは、本当にショックだった。

信じていた人に見事に裏切られた。

疲れる年末だ・・・。
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昨日、おばあちゃんがなくなった。

私には、母方の祖母が2人いて
1人は実のおばあちゃんだけど、乳児の頃に会っただけらしく
もちろん私の記憶にはない。

もう1人のおばあちゃんは、おじいちゃんの後妻さんで
小学生の中頃まで近所に住んでいた。

なので、こちらのおばあちゃんの事はよく覚えてる。

血が繋がってないことは、私がいつ知ったのかも記憶にないくらい
いつのまにか自然にその事実を知っていた。

私の母とも血は繋がっていないので、
母も後妻のおばあちゃんに関しては、とてもドライだった。

もう長くないらしいと聞いて、母は先週会いに行った。
首都圏から中国地方まで。
私は同行しようかと少し迷いながら、
仕事を休む事や交通費を躊躇して、行かずじまいだった。

昨日亡くなったことを聞いて、やっぱり少しだけショックだった。
やはり会っておけばよかったと後悔した。

おばあちゃんは昔、洋裁の仕事をしていて、舞台用の衣装を作っていた。
血が繋がっていない孫の私にドレスを作ってくれたことがあったな。
手首のゴムがキツくて、痛かったし、
ピンクのラメの生地が固くて着心地があまり良くなかったけど。

私は、おばあちゃんの事があまり好きじゃなかったけど、
おばあちゃんは私のことを自慢しているって、確か父が言っていた。

おばあちゃんは、とてもとても口が達者な人だった。
おばあちゃんは、台所の洗い物をマメに済ませる人だった。
おばあちゃんは、髪の毛が紫だった。
おばあちゃんは、霊感のある人だった。
おばあちゃんは、美容師の弟に髪を切ってもらって、嬉しそうだった。

結局、おばあちゃんは、本当の孫のように接してくれてた。
ありがとう。
おばあちゃん、ありがとう。

詳しくは知らないけど、後妻として来たとき、
綺麗事じゃない色々なことがあったと思う。
既に3人も子供が、しかも女の子がいたんだから。。。

だけど、私はどこかで、実のおばあちゃんの味方でありたいと思っていた。
だから、おばあちゃんにベタベタする孫ではなかった。

一度、育った街を一人旅した時も、おばあちゃんの家を通り過ぎただけで
姿が見えたのに声も掛けずに通り過ぎたことがあった。

色々あったような、なかったような関係だったけど、
病気ということでもなく、大往生だったそうで良かった。

おばあちゃん、おつかれさまでした。
おばあちゃん、さようなら。
心から、ありがとう。
「〜するべきだ!」には、依存心があります。

自分の心地悪い感情を相手の行動に委ねているからです。「あなたが○○してくれないから、私は気分が悪いのよ!」っていうのは、完全に相手次第になっちゃってますよね。

たまーに子供が「ママが悪いんだからね!」なんて言ったりしますけど、まさにあれです。でも、たぶんこれを読んでいる人は大人でしょう。相手に依存するなんてカッコ悪いな〜って思えたら、心持ちも変わってラクになれます。私がそうでした。

私が心理学を学ぶ前、私の中にはたくさんの怒りがありました。
「親が悪い・・・先生が悪い・・・友達が悪い・・・道を歩く人が悪い・・・国が悪い・・・」
心理学を学ぶなかで「怒りは依存心の表れ」ということを知って、自立的に生きてきたつもりの私としては、何だか恥ずかしい気持ちになったのを覚えています。「こんなに世の中が間違っていると思っていたのに、その怒りは周囲に対する依存心だったなんて・・・」って思いました。ショックでした。

確かにいろいろ文句を言いたくもなる事もありますし、食い違う意見を言うことも怒りに思うことも対立することも、それ自体は悪いことではありません。ただ、自分の幸不幸の全権を、人の行動に左右される必要はないということ。

自分の行動を調整することで解決できることはしていくほうが気分もいいし、自分の足で人生を開拓していけそうですよね。

とてもネガティブな印象かもしれないけれど
何かに期待をしないと、余計な力が抜ける。

自分を含めた人間全てに期待しない・・・
健康に期待しない・・・
自然に期待しない・・・
人生に期待しない・・・
神にすら期待しない・・・

苦しさから逃れるための着地点のハズが
逃れるどころか、肩の力が抜けてラクになった。

期待するということに、どれだけのエネルギーを向けていたのかを
毎日の生活で体感しているところ。

人混みでは人は道を譲ってくれないから、私がよける
人は親切にしてくれる存在じゃないから、求めない
どれだけ会話を重ねても、共感してくれる訳じゃない

そんな感じで過ごしていると、
これまでの怒りは何だったんだろうって感じたり
ちょっとした親切が今まで以上に嬉しかったり
自分のことをつまびらかに話すことがなくなった。

諦めと言えば、諦めなんだけど、
「コントロールしない」と言えば、少しポジティブかな。

何故、肩の力が抜けるのか・・・
信号待ちで、フッと答えがおりてきた。

自分が何かに期待をしている状態のとき
周囲も自分に期待をしていて当然という思考回路になる。
期待スイッチがONになっている状態。

その期待スイッチをOFFにすると・・・
「なんだ!自分は誰にも期待されてないじゃん!」ってなる。
だから、とってもラクになる。

そして、期待されない自分であるということは
より自然に、自分らしく振る舞えるということ。

これまで「期待」に使っていたエネルギー、
自己表現に使えるといいな。
誰かに「〜するべきだ!」と怒っている時、それが常識的であればあるほど自分が正しくて、相手が間違っていると思いがちです。

結論から言うと、それをするのは自分です。
何故なら、怒りを向けているその相手は、しなくても問題に感じていないから。自分が信じている常識は相手のそれとは違うので通用していない状態。

しないことで心地良く思っていないのは自分であることに気づくこと。要は自分の問題であり、行動すべきなのは自分です。

「〜するべきだ!」が多い度合いだけ、日常の怒りが多く窮屈なはず。

可能であれば、本当にそれはするべきことなのかを考え、不要かも…と思うことがあれば手放してみてもいいかもしれません。
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